ふふふ、こんばんは。
衝撃的なタイトル、失礼いたします。
でも、これ、実話なんです。
私が体験した怪談よりも恐ろしい真実をお伝えしましょう。(*´∀`)
身の毛もよだつ真実を…
って、いえいえ、怖い話じゃないですよ。今冬ですしね。メルボルンもそろそろ暑くなるはずですが、一向に夏が来る気配がありません。今日とか19°Cですよ。最高気温。
気温差ありすぎて大変です。
井の中の蛙大海を知らず
誰のことですか?はい!私です。
私、英語には自信がありました。
中学1年生から20年以上(英語だけは)コツコツと勉強してきました。
中学生のときに「お前発音いいな〜、将来は通訳だな」と、なんて褒め上手な先生!
この先生に巡り会ったことでますます英語が好きになり、高校に入っても選択授業で英語、英語、英語と英語漬けの日々。
好きになった人も英語が好きでますます英語漬け!(甘酸っぱい思い出です。)
大学も迷わず英語が盛んな大学に入り、就職してからも英語のセミナーに行かせてもらったり、仕事で少し使ったり、海外旅行でもそこそこ通じる、それなりに英語を使って生きてきたつもりでした。
TOEIC700以上はコンスタントにとれるし、そこそこ英語使える人レベルだと。
(井の中の蛙とはまさに私のためにある言葉です。。お恥ずかしい)
夫が外国に行きたいと言ったときも「ラッキー!私も行きたい!」、そんな感じでした。
「大好きな英語がたくさん使える!!」
ウッキウキの私。
まさか英語こわいこわい病にかかるなんて1ミリも思っていませんでした(・∀・)
理想と現実
ウッキウキでやったきたオーストラリア、「ますます英語喋れるようになっちゃうな〜、嬉しいー!」なんて呑気なことを言っていたのは最初だけ。
お店に行って頼むとき、発音が全然伝わらないのです(・∀・)
それ以前に、物の名前もわからない。
例えば、お肉屋さんで鳥のもも肉を買うとき。
私:鳥のもも肉ってどれだ?google先生に聞こう、ふむふむ、chicken thighね
〜〜〜ショーケースの前をうろうろ〜〜〜
店員さん:Hi May I help you? (お手伝いしましょうか?的な感じだと思う)
私:Ah…yes, Can I have chicken thigh? (鳥のもも肉ください)
店員さん:Sorry?もしくはPardon?(ごめんなさい、もう一度言ってくれる?的な感じ)
私:Can I have chicken thigh? (鳥のもも肉ください。2回目)
店員さん:(少し考えて指差しながら)chicken thigh? (もも肉?)
私:yes! yes!
みたいな。1回じゃ伝わらないことが多々ありました。(今も)
特にここに出てきた、鳥のもも肉、chicken thigh。チキンサイ。意識しないと伝わらない率高しです。もう3年もいるのにね。THの発音の難しさったら!
前歯の裏に舌先つけて、前歯の間の隙間から息を漏らす感じです。
同じくRも難しい。
日本人からしたら巻きすぎ!って思うくらいに舌を巻かないと伝わりません。reallyとかね。
(オージー発音のRもあるのですが、その話はまた今度)
あー、私の20年てなんだったのー!状態です。
でも、これはまだ序の口。
子供たちの学校生活で最大の壁にぶつかります。
それが日常会話です。
しゃべることの難しさ
買い物はある程度慣れてくると言い回しも覚え、ジェスチャーで乗り切れるのでなんとかなります。
でもね、なんとかならないもの。
それが日常会話。
とっさの一言、でてきません。
気の利いた一言、でてきません。
何を話せばいいか会話に詰まる詰まる!
英語になると途端に無口な私です。
まず、単語がでてきません。
おでこ、便秘、滑って転ぶ、何歳差?、へとへと、大変だったねー、お大事にね、などなど。
聞けばなんてことない単語です。
でもね、即座に出てこないんですよね。
これはもう参りました。
必死で単語を勉強したから、聞けばわかる、けど、でてこない。
聞くのとしゃべるのは違うんだと改めて現実を知りました。
最大のピンチ
それは娘が幼稚園のときにお手伝いに行ったときのことです。
先生2人に3歳の子供たち。
よろしくね〜( ´ ▽ ` )ノと気を使ってくれる優しい先生。
先生が子供たちを褒めてる言葉を耳ダンボで聞き、自分も口もごもごと練習して。
意気揚々と子供たちに話しかけました。
わたし「何してるのかな?上手だねー!」と、そこまではよかった。
こども1「ペラペラペラペラ〜」
わたし「ん?」
こども2「ペラペラペラペラ〜」
わたし「????(・∀・)????」
こども3「ペラペラペラペラ、ペラペラペラペラ」
私がわかってないのもお構いなしに話し続けるこどもたち。
そうなんです、お察しの通り、大人は気をつかってくれます。この人は英語が苦手だからゆっくり話そう、はっきり話そう、簡単に話そうと意識して気をつかってくれます。
でも、こどもたちは私が英語ができるかどうか、そんなことは考えていません。
まっすぐな瞳で自分の伝えたいことを一生懸命伝えているのです。誰に対しても分け隔てなく。
これはとてもありがたいことです。
でも、とても難しかった。うまく返事をしてあげられなくて悔しかった。不甲斐なくて悲しかった。
私のとったTOEIC795、全然役に立たないんだなと思いました。
リスニングはまだできると思っていたけれど、それは大人が相手だったから。
一斉に話しかけてくるこどもたちの英語のシャワーをひとつひとつ聞き取って答えることは私には難しすぎました。
ここらへんですでに自信喪失、さらに追い打ちをかけたのはこどもたちがマットに集まって先生の話を聞いているときでした。
私もいっしょに先生の話を聞いていましたが、
ところどころわかりません。
demo(あ、変換変になった)、こどもたちはバッチリわかっています。
先生の質問にもペラペラと答えています。
そのときにわかりました。
あ、私の英語はネイティブの3才児レベルにも達してない、と。
幼稚園でいったら年少さんレベル、彼らのほうが立派に英語を使えています。
もちろん、20年間勉強した英語は無駄だとは思いません。
(単語力とかね、ついたしね。)
でも、机のうえで参考書を広げて学ぶ英語とコミュニケーションの英語は全く別物なんですね。
話せないことが悔しかったです。
聞き取れないことが切なかったです。
同時にこうも思いました。
聞けて話せるようになったらなんて楽しいんだろう!と。
そしてその日から、日常で使える英語を学ぼう大作戦が始まったのです。
つづく(のか?)
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