こんばんは。
本日は4歳になった息子のことを少し。
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事件は寝る前に起こった
それはつい先日、寝る直前に起こった出来事です。
寝る前にお水が飲みたかった息子、
息子:お水を水筒に入れて〜
私 :はいよー!
(水筒を出して水を入れる)ジャー
息子:(何かに気づき)はっ!それじゃない、その水筒じゃない!
私 :え?今日はもうお水いれたからこれで我慢してね。
息子:新幹線の水筒がいいーーー、ギャーーー!
カーン!
ゴングの音が鳴り、始まりました。
私と息子のバトル開始の音が聞こえた…!
水筒を替えるか替えないか
きっかけは大したことではありません。
水筒の柄、ただそれだけ。
でも、ここから息子は約30分泣き続けました。
どうしても新幹線の水筒がいい息子、替えるタイミングを失ったので替えるに替えれない私。
ワンワン泣いている息子と、何か口を挟むと火に油を注いでしまうので黙っている私。
それでも黙っていられず、時々「明日は新幹線の水筒にしようね」というものの、眠さと要求が通らなくて悲しい悔しいモードの息子には私の言葉は聞こえていません。
結局、その後は泣き疲れて眠りに落ちたのでした。
息子の性格
息子はとても柔らかな子です。
物をとても大切にし、生き物が大好きな少し怖がりだけどとても優しい男の子。
その反面、一度決めたら自分の意志を曲げない頑固なところがあります。
「こうだ」と決めたら誰が何を言おうと「こう」。小さな頃からそうでした。
9:1くらいの割合で 穏やか:がんこ。基本的には優しい系男子です。
だから私もこんなバトルになるとは思わなかったのです。
私:きょうはこれで我慢してね。
息子:えー、いいよー!
と、終わると思いました。
やだ、と言ったときも布団に行けば治まると思ったのです。
だから息子の要望をすぐには受け入れずに、我慢してねと布団に向かいました。
こんな涙涙の展開になるとは想像のその字もありませんでした。
しかし、一向に静まる気配はありません。
それどころか若干ヒートアップ気味。布団で足をバタバタさせながら全身で訴えてきます。
僕は新幹線の水筒がいいのだ!と。
我慢ができない子に育つのか、融通が利かない子に育つのか
こうなると、私のなかで2つの意見が生まれてきます。
私1:どうしよう、こんなに泣くなら替えてあげればよかったな。今からでも遅くないかな。
私2:え、でも、こういうのに全部対応してあげて我慢ができない子になったら困るよ。
私1:でも、何か物が欲しいって駄々をこねてるわけじゃないよ。この前はスーパーでお菓子買わずに我慢できたし。
私2:でも、こういうのがお菓子欲しいとかおもちゃ欲しいとかの大きい要求につながっていくんじゃない。
私1:でも、このくらいのことでダメって言ってたら融通の利かない子になっちゃうんじゃないかな。
私2:でも、、、、、、、、、、
と、でもでも合戦です。
こうなると、どうしていいかわからず。
頭のなかでグルグルと考えている間に息子は眠りについたのでした。
結局どうすればよかったのか
結論から言えば、このときは水筒を替えてあげればよかったのです。
彼はお水が飲みたかった、水筒は二の次の問題だったのです。大したことではなかった。
それならばどうしてここまでこだわったのか、それはただ単純に「気持ち」を受け止めて欲しかったんだと思います。
今日1日で溜まった「ストレス」をえいっと私に投げてみた。
それを違う方向で(我慢ができるできない、融通が利く利かない)考え、息子のボールをキャッチしてあげなかった。
「なんで僕の気持ちを受け止めてくれないんだーーーーーー!」の気持ちが涙の時間につながっていったんだと思います。
考えてみればこの日は英語の幼稚園に行き、たくさん我慢をした日。
言いたいことが伝わらない、伝えられない、お友達に遊ぼうって言えない、コミュニケーションが取れない、その状況でがんばって過ごしてきたことをもっと汲み取るべきでした。
4歳、日本にいたら言語の問題でコミュニケーションに苦労することはほぼほぼない年齢です。
ですが、こちらの環境、英語ではまだまだです。
単語はポツポツ出てきますが、日本のこどもたちが日本語を話すように、オーストラリアのこどもたちは英語を話します。
そのなかに英語の苦手な彼は入っていくことができません。
4歳、日本語はペラペラ。一方、英語は言葉の出始めの赤ちゃんのようなもの。
どれだけストレスが溜まる環境にいるのか。少し想像力を働かせればわかってあげられるのに、私のちっぽけな想像力ではまったく考えが足りていませんでした。反省。
自分の言葉に縛られる
息子が眠ったあと、私はグーグルで検索していました。
4歳 ワガママ 我慢
4歳 我慢できない
4歳 反抗期 我慢
など。
冷静になってみれば、どうして水筒の柄を替えることが「我慢ができない」につながったのかはわかりません。
でもあのときの私は必死でした。我慢、我慢、我慢。
我慢という言葉に縛られて。
「我慢ができない子に育つ」「我慢を覚えていかないと」と。
その日息子がどれだけがんばったかを全く考えもせず、4歳の息子に原因がある、4歳のワガママ、かんしゃく、反抗期は大変と決めつけてしまいました。
「気持ち」を受け止めてってボールを受け止めることをせず、こちらの一方的な価値観を押しつけてしまいました。
よく考えてみると、今回のことは我慢、融通にかかわってくる問題ではなかったのです。
そんな性格を形作るような大きな問題では、ないのです。
大切なのは相手の立場にたって考えること
子供であるとか、大人であるとかは関係なく、1人の人間として相手の立場にたつことの大切さを改めて考えるきっかけになりました。
子どもたちには’相手の気持ちを考えよう’と口酸っぱく言っている私。
それなのに、私自身ができていなかった。あぁ、ダメ母ちゃん。
うるさくいうより背中で語る、お手本になれるように努力していこうと思います。
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